松岡圭祐「八月十五日に吹く風」|リーダーシップの理想象が分かる

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日本海軍の木村昌福(きむらまさとみ)中将。

サラリーマンなら誰でも、「この人の下で働きたい」と思える理想の上司です。

木村中将は太平洋戦争の海上戦闘で数々の武勲を立てており、特に「キスカ島撤退作戦」を指揮して5,183名の将兵を救出した功績で有名です。

そしてこの「キスカ島撤退作戦」を題材にした本作を読むと、リーダーシップの理想像が見えてきます。

この記事では、そのことを考察してみたいと思います。


八月十五日に吹く風 (講談社文庫)
目次

孤立する守備隊

本作は「キスカ島撤退作戦」の史実を元に、日米双方の視点からアレンジを加えた作品です。

撤退作戦が行われたキスカ島は、アラスカ半島からカムチャツカ半島にかけて約1,900キロメートルにわたって延びるアリューシャン列島に位置する島です。

1942年6月、日本軍はミッドウェー作戦の陽動と米国の領土占領という戦意高揚も兼ねて、隣のアッツ島とともにこの島を占領します。

占領後は、アッツ島に約2,500人、キスカ島に約5,000人の守備隊が配置されました。

翌1943年になると米軍の反攻は本格化し、5月12日に10,000人を超える兵力でアッツ島に上陸を開始、5月29日に日本軍の守備隊は玉砕します。

キスカ島周辺の制空権・制海権も米軍に完全に握られ、5,000人を超える日本軍守備隊が孤立することになります。

米軍に制空権・制海権を握られている状態で、キスカ島から将兵をどうやって撤退させるのか。

それは、7月に発生するこの地方特有の濃霧を利用することです。

霧が濃ければ、米軍の哨戒機から発見されるリスクも低くなります。

キスカ島の撤収作戦とは、この霧に紛れ込み、駆逐艦・巡洋艦をキスカ島に突入させ、5,000人を超える将兵を一挙に収容して、日本へ帰投するというものでした。

そして、その撤収部隊である第一水雷戦隊の司令官に、木村中将(当時少将)が任命されるのです。

木村中将のリーダーシップ

それでは、本作の描写から、木村中将が発揮したリーダーシップを考察していきます。

リーダーは仕事を任せる

本作では、木村中将は撤収部隊の活動にあたり様々な準備を行います。

その一つとして、気象士官の派遣を要請します。

気象士官の出した気象予報から、霧の発生する日を予想し、そのタイミングに合わせて撤収部隊をキスカ島に突入させるのです。

そこで気象士官として撤収部隊に派遣されてきたのが、九州帝国大学からの学徒出身士官である橋本恭一少尉です。

気象士官と言っても、まだ20代前半の若者です。

その橋本少尉が、撤収部隊の上層部の佐官・将官クラスの軍人に対し、気象士官としての意見を述べなければなりません。

気象士官の意見で撤収部隊の行動も左右され、撤収作戦の成否にも大きな影響が出てきます。

橋本少尉にかかるプレッシャーは並大抵ではありません。

そこで、木村中将は、橋本少尉のプレッシャーを取り除き、十分に実力が発揮できる環境を整えていきます。

橋本少尉が「大変恐縮なのですが、私は大学で気象物理学を専攻しまして、気象予報のほうは本来、専門というわけではなく・・・」と不安を吐露したことに対して、

木村中将は「ならこれからお互い学んでいこうじゃないか。理解できたことを、私にも教えてほしい。専門書や教本の類はあるんだろう?」と返して不安を和らげています。

また、作戦会議でも、木村中将は橋本少尉に適切なタイミングで意見を求め、気象士官としての成長を促しています。

さらに、より立体的な天候予測をするため、作戦海域で哨戒機を飛ばして気圧、温度、風向き等のデータ収集を行うことを橋本少尉が要望した際には、木村中将もそれに応えています。

リーダーは責任を取る

木村中将は橋本少尉に仕事を任せていましたが、最終的な責任は自分で取っています。

第一次撤収作戦の際に、撤収部隊は天候上の理由からキスカ湾への突入の延期を繰り返します。

作戦行動の最終日においても、橋本少尉が晴れの予報を出したことから、木村中将は一旦は突入を断念し、日本に帰ることを決断します。

当然、このことは積極果敢であることを評価する海軍の上層部からは猛烈に批判されます。

臆病風に吹かれたのかと、木村中将は猛烈なバッシングを受けます。

それでも、この決断に対して、木村中将は「俺も霧は勉強している」と言って、全ての責任を負っています。

あくまでリーダーが決断の責任を負い、橋本少尉には責任を負わせないようにしていたのです。

リーダーシップの要件

木村中将は、「部下に仕事を任せるが、最終的な責任は自分がとる」という、理想的なリーダーシップを発揮しました。

これは、ドラッカーのリーダーシップとも重なるところがあります。

ドラッカーは、リーダーシップの要件の一つとして、以下のように述べています。

「リーダーたることの第二の要件は、リーダーシップを、地位や特権ではなく責任と見ることである。」

「優れたリーダーは、常に厳しい。ことがうまくいかないとき、そして何事もだいたいにおいてうまくいかないものだが、その失敗を人のせいにしない。」

(「プロフェッショナルの条件ーいかに成果をあげ、成長するか P.F.ドラッカー著 上田惇生訳)

ドラッカーは、ハリー・トルーマン(アメリカ合衆国 第33代大統領)の「最終責任は私にある」という言葉を、リーダーの本質を示す言葉として引用しています。

木村中将のリーダーシップとも重なっています。

また、ドラッカーは、「組織的活動におけるリーダーシップの本質が“責任”にある」と語っており、そのことはリーダーは部下の行動を保証し、支援する存在でなければならないということを意味しています。

さらに、ドラッカーは部下の力に不信感を持ったり恐れを感じたりせず、逆に「部下を激励し、前進させ、自らの誇りとする」とも語っています。

まさに、木村中将が発揮したリーダーシップは、組織的活動におけるリーダーシップの本質というべきものでした。

部下である橋本少尉に適切に仕事を任せることで、橋本少尉を激励し、大いに前進させたのです。

そしてこのことが、キスカ撤収作戦を成功に導いたのでした。

まとめ

本作を読めば、「部下に仕事を任せるが、最終的な責任は自分が取る」という、リーダーシップの理想的な形が見えてきます。

木村中将がキスカ撤収作戦を成功に導いたのも、このリーダーシップによるところが大きいでしょう。

会社においてリーダーの立場にあるという方にも、本作をおすすめしたいです。

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