映画「ハンナ・アーレント」|悪を生み出すのは、”思考停止の凡人”である。

【当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。】

悪とは、システムを無批判に受け入れることである。

社畜サラリーマンなら思わずドキッとしてしまうこの言葉。

これは、ドイツ系ユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントの言葉です。

ユダヤ人大量虐殺の実務責任者であったアドルフ・オットー・アイヒマン中佐は、ごくごく「普通の人」でした。

その「普通の人」が、組織の中で自分の仕事をこなしただけ、つまり、組織のシステムを無批判に受け入れた結果として、ユダヤ人大量虐殺が引き起こされたのです。

そのことをアイヒマンの裁判の傍聴を通じて喝破したアーレントは、冒頭のメッセージを記しました。

本作は、現代にも通じるアーレントのメッセージを、重厚なドラマとして描いた作品となっています。

そこから我々社畜サラリーマンも大いに学ぶべきところがあります。

この記事では、そのことを考えていきたいと思います。

(映画「ハンナ・アーレント」を無料で見る方法はこちらを参照してください。)

目次

ハンナ・アーレントの考察

アイヒマンは一介のサラリーマンだった

ユダヤ人大量虐殺の実務責任者であったアイヒマンは、戦後にアルゼンチンにて逃亡生活を送っていたところ、1960年にイスラエルの秘密警察に逮捕されます。

連行されてきたアイヒマンの姿を見て、当時の関係者は大きなショックを受けたといいます。

それは、アイヒマンが小柄で気の弱さそうな、あまりにも陳腐な「普通の人」だったからです。

アイヒマンの「ナチス親衛隊中佐」というプロフィールから、「冷酷無比なサディスト」「屈強な戦士」と勝手な想像を巡らせていた人はそのギャップに驚いたことでしょう。

裁判の場で、アイヒマンは「自分は上の命令に従っただけです。」と弁明しました。

アイヒマンは、一介のサラリーマンに過ぎなかったのです。

ナチス党という組織の中で、一人の組織人として評価を受け、出世の階段を上っていくために、ただただ目の前の仕事をこなしていただけなのです。

悪は、思考停止の凡人が作る

この裁判を傍聴したアーレントは、人々が持っている”悪”のイメージに揺さぶりをかけました。

そのことをアーレントは以下のように述べています。

「悪は悪人が作り出すのではなく、思考停止の凡人が作る。」

(エルサレムのアイヒマン~悪の陳腐さについての報告 ハンナ・アーレント)

アイヒマンは「上の命令に従っただけ」の「普通の人」、つまり、思考停止の凡人だったのです。

その思考停止の凡人が、権威に盲従することで恐るべき犯罪に加担したのです。

まさに、「悪とは、システムを無批判に受け入れること」なんですね。

「悪の陳腐さ」の証明

ミルグラム実験とは

この「悪の陳腐さ」を証明したのが、1961年にイエール大学で心理学者のスタンレー・ミルグラムが行った「ミルグラム実験」です。

この実験は、参加者を「教師」役と「生徒」役に分け、「教師」役は、「生徒」役がテストの問題を間違えた場合に、罰として電気ショックを与えるというものです。

最初に、灰色の実験上着を着た技師風の人物から、この実験には科学的な意義があること、「教師」役は「生徒」役が間違えるごとに、電圧の強さを1段階上げるようにと説明を受けます。

ところが、真の被験者は「教師」役の参加者だけで、「生徒」役は実際はサクラだったのです。

「生徒」役の不快感を表す声をあらかじめテープに録音しておき、「教師」役が電気ショックのボタンを押せば、それに応じて隣室の「生徒」役がテープを流すというカラクリになっていたのです。

「生徒」役が(わざと)誤答を繰り返し、電圧が上がってくれば、「やめてくれ!死んでしまう!」などと激しい声のテープが流れるようになっています。

「生徒」役の声に圧倒されて、さすがに「教師」役も良心が痛み、電気ショックを続けるのをためらうようになります。

それでも「教師」役は、技師風の人物から電気ショックを続けるように促されます。

この実験では、「生徒」役の苦しむ声を聞いているにも関わらず、「教師」役の参加者の60%超が最大電圧の450Vまで電圧を上げました。

実験室という環境や、灰色の実験上着という服装、実験内容の説明などから、「教師」役の参加者は、技師風の人物が権威ある存在だと認め、この実験の参加者としての責任を果たさなくてはならないと考えました。

その結果、ためらいながらも技師風の人物の指示に従い、電気ショックの電圧を上げていったのです。

この実験の被験者として集められたのは、自分の仕事を日々懸命にこなす「普通の人」たちでした。

そのような「普通の人」でも権威に服従することで、他人を苦しめるような行為を自ら行うことが分かったのです。

実験の結果、アーレントの言っていた「悪の陳腐さ」が証明されたのです。

職場にもいる思考停止の凡人

ただ上の意向に従っているだけ

普通の人」がシステムを受け入れた結果、非道な行いをするということ。

アーレントは、このことは誰にでも起こりうると警鐘を鳴らしていました。

我々サラリーマンにとっても決して他人事ではありません。

職場いじめに加担する人は、指導のためにやっているだけだと言い張ります。

指導と言っても、最初にいじめを始めた上司の意向に沿うようにしているだけなのですが。

そうすれば、会社のためにもなるし、自分も評価されると思っているのです。

会社の中で出世の階段を上るために、やるべきことをやっているだけなのです。

会社のために尽くすことが自分にとって一番重要なことであり、いじめられている人の苦しみを考慮することは二の次なのです。

まさに、アーレントの言うところの、思考停止の凡人です。

ミルグラム実験では、「教師」役の参加者の一部が、権威に従って電気ショックを加えたことの後ろめたさを隠すべく、生徒役にその責任を転嫁して自己正当化しようとしていました。

職場においても、いじめは被害者に問題があると考え、「何度も同じ間違いをするあいつが悪い」などと、被害者に責任転嫁をする人がいます。

権威に服従し、権威の命令を実行することが最優先になり、道徳的配慮は無くなっていくのです。

これこそが、職場のいじめの原因でしょう。

それ以外にも、会社の不祥事なども思考停止の凡人が引き起こすのです。

会社のため、上司から評価されるため、そのために重要なデータを改ざんしたりするのです。

まとめ:人間の大切な質とは

終盤の8分間にも及ぶ講義シーンで、アーレントは聴講者たちにこう伝えています。

「人間であることを拒否したアイヒマンは人間の大切な質を放棄しました

それは思考する能力です

その結果モラルまで判断不能となりました

思考ができなくなると平凡な人間が残虐行為に走るのです

“思考の風”がもたらすものは知識ではありません

善悪を区別する能力であり美醜を見分ける力です

私が望むのは考えることで人間が強くなることです」

(ハンナ・アーレント)

人間の大切な質とは、「考える」こと。

そのことが人間を強くするのです。

これこそが、現代にも通じるアーレントのメッセージなのです。

このメッセージは、全てのサラリーマンが真摯に受け止めるべきだと思います。

そうすれば、パワハラ・いじめ・不祥事など、職場で起きる様々な問題も大幅に減っていくでしょう。

(映画「ハンナ・アーレント」を無料で見る方法はこちらを参照してください。)

シェア頂けると嬉しいです!よろしくお願いします!
  • URLをコピーしました!
目次